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「タブーの謎を解く―食と性の文化学」 山内 昶

2013/11/22
タブーとは何だろうか。およそ人類史上、タブーのない社会は古今東西どこにも存在しなかった。未開社会だけではない。現代都市の若者のあいだでもタブーはひそかに息づいている。なぜ人間は、古来から近親婚を禁じたり、イスラム教が豚肉、ヒンドゥ教が牛肉、あるいは仏教が肉食一般を禁止したように、性や食の禁制を社会のなかに仕掛けておかなければならなかったのか。人間の原思考が生み出した奇怪な文化装置であるタブーの謎にスリリングに迫る(「BOOK」データベースより)。

タブーの謎を解く―食と性の文化学 (ちくま新書)

「人間はカオスを明確な意味秩序空間に変えなければ、世界を認識できず、自分の存在を確信できない」(p.132)。

そして、「タブーとは、カテゴリーの明確な対立に関して異例なカテゴリーに適用される」。「AB二つの言葉のカテゴリーがあるとして、Bは《Aでないもの》と定義され、その逆もまた真であるとき、この区別を仲介する第三のカテゴリーCがあって、AB両方の属性を共有すれば、そのときCはタブーである」とリーチは説く(p.148)。

また、他から切断された個物の「固有性が不完全な場合には不純で不潔」であり、「他物、つまり他のカテゴリーと接触し、交錯し、混在することは不浄で、思っただけでもおぞましい出来事」とされ、タブーとされる。(p.167)と筆者は説く。

これを食のタブーにあてはめると、
・コウモリは鳥類なのに哺乳類のネズミのような顔をしているから食べなかった。
・ウシがインドで食禁なのは、ウシが家畜でありヒトと動物の中間域に属するから。
・イスラムでブタが食禁なのは、草食動物と肉食動物の中間に位置する雑食動物であり、また、家畜であったから(p.153)。

これを性のタブーにあてはめると、
・隣人の妻との姦通の禁止は、私の妻/隣の妻の境界を越界することになるから。
・同性愛の禁止は、ホモは種の保存のために本来異性に向かうべき性欲がその対象を取り違えた結果だから。
・動物との獣姦の禁止は、人間と動物のカテゴリーの区分の蹂躙だから(p.159)。

他にも、
・同じおかずを二人一緒に箸でつまむなの禁は、自分と他人のカテゴリーの混合のせい。
・「敷居を踏むな」のタブーは、一本の棒が外から内への侵入を防ぎ(敷居が高い)、内部を防御する高い城壁(敷居を跨がせない)となっているのに、敷居そのものは「アンビヴァレントで曖昧なリーメン」にほかならず、その上に立つとコスモスから転落してカオスの中に沈み込む」。西洋でも、敷居は「神秘的なものが取り憑いているとの観念」「超自然的な危険の宿る所だという観念」が存在した(p.133)。

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食と性のタブーを統一的に理解している事にまず驚く。当然だと思っていることが、そもそも何らかのタブーを前提としていることに気づかされた。近親婚のみ許容しそれ以外は許さない社会があっても不思議ではないのだ。難しかったが面白かった。

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08:16 風俗・民族・社会 | コメント(0) | トラックバック(0)

「誰も知らなかった本当はこわい日本の童謡」日本の童謡研究会

2013/11/03
天神様は祟り神?! うしろの正面に何がある? 柳の下に少年の霊が浮かぶ? しゃぼん玉は娘の魂? 通りゃんせ、かごめかごめ、あめふり、しゃぼん玉など、日本の童謡にまつわる話やうわさ話を紹介する(「MARC」データベースより)。

誰も知らなかった本当はこわい日本の童謡

慣れ親しんだの童謡の歌詞をおさらいできただけでも楽しかった。「通りりゃんせ」「サッちゃん」「しゃぼん玉」「かごめかごめ」「ずいずいずっころばし」。

どの童謡の解説も面白い。特に「花いちもんめ」。人買いの歌なんだって。

「鬼が怖くていかれない」の「鬼」とは人買いのこと。「あの娘がほしい」と人買いはいい、親が「あの娘じゃわからん」と言って人買いを追い返す。「勝ってうれしい 花いちもんめ」は「勝って」と「買って」の掛け言葉。「負けてくやしい 花いちもんめ」は値切られて悔しい。ちょっとショックだった。

23:10 風俗・民族・社会 | コメント(0) | トラックバック(0)

「親の顔が見てみたい!」調査―家族を変えた昭和の生活史  岩村 暢子 

2013/07/25
お菓子が朝食、昼食はコンビニ弁当…衝撃の献立・食卓の崩壊は歴史的必然だった!一九六〇年以降に生まれた主婦を育てた母親たちの生き方・しつけ・時代状況等を徹底調査(「BOOK」データベースより)。

「親の顔が見てみたい!」調査―家族を変えた昭和の生活史 (中公文庫)

母親が子供たちと食べる朝ごはんにカップ麺とか、コンビニ弁当を出すことを批判するだけの本かと思いきや、その背景を社会学的に分析した本。

ここで問題になっている母親たちの母親は、そもそも戦争前後の生まれなので、食べるのに精一杯の世代。「正しい食事」自体を経験していない。

だから娘に「正しい食事」を伝承しようという意識が生まれない。そして戦争を体験したからこそ自分たちの娘には自由であってほしいと願う。

そんなこんなで娘が母親になっても、食卓にカップ麺が出てくる、ということみたい。

戦後女性が自由を享受できるようになったのは喜ばしいことだと思う。ただ、カップ麺とコンビニ食のみっていうのはねえ・・・。食の楽しみを知らないのはもったいない。

20:47 風俗・民族・社会 | コメント(0) | トラックバック(0)

「大きい女の存在証明―もしシンデレラの足が大きかったら」 デイ 多佳子

2012/12/25
ハイヒールをはいた182cmの体は、かけがえもなく美しい。大きいことがなぜコンプレックスになるのか? 50年の人生を通して経験した苦悩を明かす。「あなた」がありのままの自分自身を受け入れるために-(「MARC」データベースより)。

   大きい女の存在証明―もしシンデレラの足が大きかったら (心をケアするBOOKS)

筆者は身長176センチ。私は筆者ほど身長が高くないので、彼女の辛さは分からない。だからかもしれないが、筆者の背の高い女性に対する差別論を大げさに感じる。アメリカ人の思考になっているな、と思う。日本の敬語や文化に愛着がある私からすれば、理解しがたい主張もある。

ただ、日本人が固定化した思考形式を持ちやすいことには共感。小さい女性は弱い印象を与え、男性に守ってもらえる存在、すなわち異性としての対象になりやすい、とは思う。

12:12 風俗・民族・社会 | コメント(0) | トラックバック(0)
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