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「恐るべき子供たち」 ジャン・コクトー

2012/12/20
14歳のポールは、憧れの生徒ダルジュロスの投げた雪玉で負傷し、友人のジェラールに部屋まで送られる。そこはポールと姉エリザベートの「ふたりだけの部屋」だった。そしてダルジュロスにそっくりの少女、アガートの登場。愛するがゆえに傷つけ合う4人の交友が始まった(「BOOK」データベースより)。
 
   恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

萩尾望都の世界そのまんまやん。いや、萩尾望都の漫画版は読んだことがないんだけど、読まなくても分かる。

ただでさえ思春期の子供って感情が剥き出しで、自意識過剰で、傷つきやすくて、なのに残酷で、子供とも大人とも全く違う別の生き物みたいだ。自己陶酔したまんま破滅へと向かう。

中条省平さん、中条志穂さんの翻訳が良かった。あと、コクトー自身が描いたイラストが良い。

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「貧しき人々」 ドストエフスキー

2012/12/01
中年のしがない下級役人マカールと、天涯孤独な娘ワルワーラ。二人は毎日手紙で励ましあい、貧しさに耐えている。互いの存在だけを頼りに社会の最底辺で必死に生きる二人に、ある日人生の大きな岐路が訪れる…。後のドストエフスキー文学のすべての萌芽がここにある。著者24歳のデビュー作、鮮烈な新訳(「BOOK」データベースより)。

   貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

最近のドストエフスキーの翻訳本は読みやすいと聞き、今回チャレンジ。結論として、とても読みやすかった。安岡治子氏の翻訳のおかげだと思う。情景の浮かぶ描写が心地よい。

ただ、翻訳ものだからこそ感じる独特の調子がある。「なんだっていうんです!」「なんて素敵なんでしょう!」「どうしたことでしょう!」。感嘆符のオンパレード。コントっぽい。でもこれはこれで収まっている。

解説によると、マカールがゴーゴリ、プーシキンを読むことで深まった考察が、手紙に表れているとのこと。このへんを読み取れれば「アルジャーノンに花束を」のように、人格の進化を楽しめたかもしれないが、全く気づかなかった。

それでも十二分に読み応えがあった。

極貧生活にある二人が身を削りながら、相手を思いやり施しあうことで、かえって「貧が貧をよぶ」(訳者あとがき)状況に陥っていく。ラストで、ワーレンカが「貧」から脱出を図るため結婚するのも納得。本作品は、情にもろく、感傷的な中年男マカールの悲恋物語である。

ただ、なぜ、うら若きワーレンカがマカールと多数の手紙をやり取りするのか納得し難かった。すると、訳者あとがきで、「この往復書簡は、実はジェーヴシキンの妄想で、すべて彼が一人で書き上げたものではないか」という解説が紹介されており(浦雅春氏)、腑に落ちた。

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「黒猫」 エドガー・アラン・ポー

2012/08/23
黒猫の存在が許せずに、残虐な方法で殺戮。
ついでに妻も。

こういう事はしないと思うのに共感してしまうのは、
私自身に残虐な一面が存在するから。

以下、抜粋。

「人 は、掟を、単にそれが掟であると 知っているだけのために、その最善の判断に逆らってまでも、その掟を破ろうとする永続的な性向を、持っていはしないだろうか? この天邪鬼の心持がいま言ったように、私の 最後の破滅を来たしたのであった。 なんの罪もない動物に対して自分の 加えた傷害をなおもつづけさせ、とうとう仕遂げさせるように私をせっついたのは、魂の自らを苦しめようとする――それ自身の本性に暴虐を加えようとする――悪のためにのみ悪をしようとする、この不可解な切望であったのだ。」

黒猫 (集英社文庫)

せっかくスマホを買ったので、何か、アプリを使ってみよう!
ということで青空文庫ヴユーア「青空読手」をダウンロード。
そして「黒猫」をダウンロードして読みました。

そりゃあ紙の本を手に持って読みたいけれど、せっかくの青空文庫。
有効利用するには、読み放題・無料・手軽の電子媒体がお得なんだなあ。

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「魔の山」(下巻) トーマス・マン

2011/09/02
「魔の山」上下巻、図書館の貸出を延長しつつ、
2ヶ月間を費やし、ようやく読み終わりました。
最後の2日間で、300頁一気読み!

まるで「魔の山」から、降りてきた気分^^;
内容よりも何よりも、読み終えたことの達成感が大きいです。

下巻では、セテムブリーニとナフタが、(読むのが大変な)論争を展開。

セテブリーニはフリーメーソン。合理的かつ批判的。少し共感。
ナフタはジェズイト派の一員。テロ・共産主義を肯定。
二人の論争に影響を受ける、主人公ハンス・カストルプ。

しかし、ハンスはショーシャ夫人の恋人(?)、行動的なペーペルコルンの魅力に惹かれる。
論争するより行動しろ、という示唆かと思いきや、
ハンスがショーシャへの想いを語った直後、ペーペルコルン自殺。
行動派の否定?

しかし、物語終盤では、セテムブリーニとナフタが決闘。
結果、ナフタが自分の頭に発砲し死亡、セテムブリーニは病に。
むしろ思索派の否定?

ラストでは、第1次戦争が勃発し、ハンスが戦争へ向かい幕を閉じます。

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人は隔離されると、きっといろんなことを思索します。
精神的成長につながることもあるでしょう。
しかし、療養所で半永久的に隔離されている人々にとって
行動のための思索でなく、思索のための思索になってしまう。
辿り着く先は、絶望?

考えすぎるよりも、行動した方が人生楽しいはず。
楽観的に、享楽的な毎日を謳歌するのもいいものです。
有限な時間を大切に大切にしていきたいです。

ヨーロッパの思想や宗教、政治的背景の知識に乏しい私の感想です。

それにしても、
途中「コックリさん」が出てきたのに笑ったなあ。
中1の頃クラスで流行っていて、何回かやりました。
あの時10円玉は本当に動いていたと、今でも、思う・・・。

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

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「魔の山」(上巻) トーマス・マン

2011/08/05
いわゆる結核文学。
不治の病であった結核に冒された人々が療養するスイス・ダボスのサナトリウムが舞台。
登場人物は否応なく死と向き合います。

主人公はハンス・カストルプ。
3週間の予定でサナトリウムで療養するいとこヨアヒム・ツィームセンを見舞います。
しかし自らも結核に冒されていることがわかり療養生活を開始。

理性と道徳に信頼を置く民主主義者セテムブリーニとは議論をかわす仲に。
ロシア婦人クラウディア・ショーシャには惹かれていきます。
ハンスはショーシャに愛を告白しますが、ショーシャはサナトリウムを去っていきます。

以上、上巻。ここまで読み終えるのに一カ月かかりました。
「ドイツの教養小説」だけあり、難しかったです。

ハンスの病魔が明らかになるまで、つまり最初の3週間経過までの描写に
上巻の半分以上を割いています。
その後は、経過時間は長いのに、描写分量は少ない。反比例?

サナトリウムでの時間の感覚が、サナトリウムを「魔の山」たらしめる所以なのかも。
いったん魔の山に魅入られると、抜け出るのは至難の業。

その辺を象徴する文章を以下抜粋。
第4章のはじめあたり。

『一般には、生活内容が興味深く新奇であれば、そのために時間は、
「追い払われる」、つまり時間の経つのが短くなるが、
単調とか空虚とかは、時間の歩みにおもしをつけて遅くすると信じられているが、
これは無条件に正しい考えではない。

一瞬間、一時間などという場合には、単調とか空虚とかは、時間をひきのばして
「退屈なもの」にするかもしれないが、
大きな時間量、とほうもなく大きな時間量が問題になる場合には、
空虚や単調はかえって時間を短縮させ、無に等しいもののように消失させてしまう。

その反対に、内容豊富でおもしろいものだと、一時間や一日くらいなら、それを短縮し、
飛翔させもしようが、大きな時間量だとその歩みに幅、重さ、厚さを与えるから、
事件の多い歳月は、風に吹き飛ばされるような、貧弱で空虚で重いのない歳月よりも、
経過することがおそい。

従って、時間が長くて退屈だというのは、本当は単調すぎるあまり、
時間が病的に短縮されるということ、のんべんだらりとした死ぬほど退屈な単調さで、
大きな時間量がおそろしく縮まるということを意味する。

一日が他のすべての日と同じであるとしたら、千日も一日のごとく感ぜられるであろう。

そして毎日が完全に同じであるならば、いかに長い生涯といえどもおそろしく短く感じられ、
いつの間にかすぎ去っていたということになるだろう。

習慣とは、時間間隔の麻痺を意味する。
あるいは少なくともその弛緩を意味する。
青春期の歩みが比較的ゆっくりとしているのに、それ以後の年月が次第にせわしい急ぎ足で
流れすぎていくというのも、この習慣というものに原因があるに違いない。』

魔の山 (上巻) (新潮文庫)

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