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「華族令嬢たちの大正・昭和」 華族史料研究会

2011/09/21
女子学習院での教育、人力車の送り迎え、別荘での避暑、お国入り、華麗な縁戚、家存続のための婚姻、関東大震災、二・二六事件、戦争…。四人の女性が在りし日の華族の生活を語る。追憶の中から激動の時代が浮かび上がる(「BOOK」データベースより)。

華族令嬢たちの大正・昭和

大正・昭和を生き抜いた
徳川宗家の二女をはじめとする華族令嬢たちが、
戦中戦後の生活や考えていたことを、座談会形式で語っています。

御令嬢たちの家の躾、習慣、教育、風習。
お茶、お花をたしなむなど、現在の一般家庭でも嗜まれている芸事だけでなく、
華族独特の行事や風習について語られており、面白いです。
名前の代わりに用いられる「お印」を、皆さんお持ちです。

学校は皆さん学習院に通われています。
幼稚園は人力車で通園(!)。
卒園後は、昭憲皇太后の意向を受けて設置された女子学習院に。
華族の方は、授業料なし・入試なしのフリーパス。
華族以外は定員に満たない場合のみ入学可能。
当時の女子学習院は、まさしく「華族の女学校」だったようです。

名簿の下には、華族であれば「華」、武家であれば「武」と記載されていたそうです。
身分制を大前提とする学校であったことがよくわかります。

女子学習院では、乃木希典大将の質実剛健の精神を受け継ぎ、質素を強調。
体育衛生面を重視しつつ、厳格な規律の下で高潔な人格の育成を図る。
教育の根本は「金剛石」「水は器」。入学式卒業式で歌ったそうです。
授業内容や行事等は今とは違うようですが、
こういった教育方針は今も昔も受け継がれていることがわかり、嬉しい。
貞明皇后の下賜した御歌「花すみれ」も式典等で歌い継がれています。

皆さん、学習院言葉をださないように気を付けられているとか。
確かに、いきなり「ごきげんよう」「ごめん遊ばせ」と挨拶されると戸惑いますよね。
制服は吉沢!

学校外の遊び相手については、親が交友範囲を決めるものだそうです。
親類縁戚や、同じ華族で親同士の交際がある家庭の子女のみ。
それだけでは足りないためか、「御相手さん」が選抜され、遊び相手を務めたそうです。
旧臣や縁故者の子女から選ばれるそうです。
品位を保つため、ある程度世間と交わることを断ったということでしょうか。

だからこそ、縁談をまとめるのはとても大変だったようです。
家の格式、爵位、年齢などの諸要素に加え、本人の意思も考慮して。

面白かったのは戦争の見方。
座談会に登場する御令嬢たちは、外交官、貴族院議員、NY勤務の銀行員と結婚しています。
アメリカ通の夫に、日本が戦争に勝てるはずはない、と言われていたとか。
戦争責任を問われた天皇陛下に近しい方々が、敗戦を確信していたのですね。

また、戦後、華族制度が廃止されたとき、特権を奪われ落胆しているのかと思いきや、
解放感の方が大きかったのも面白い。
戦後の混乱の方が大変で、それどころではなかったようです。
華族といえど、戦争に否応なく巻き込まれ、生活が大変だったようです。

日本では、すでに廃止された華族制度。
当時の華族が何を考えどんなふうに生活していたか分かります。
すごく昔の制度のように感じていましたが、
座談会形式で語られているので、ごく最近まで現存した制度であることが実感できます。

華族だからこそ「他人様の手本となるよう」躾けられ、
恥ずかしくない立ち居振る舞いを求められた御令嬢たち。

制度廃止により失われた習慣等もあるけれど、
物ごとの考え方感じ方は今の時代にも、旧華族の方々の間で受け継がれているようです。

23:10 歴史・伝記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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