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「お宝発掘! ナンシー関」 

2012/10/16
ナンシー関の本はほとんど全部持っている。
2002年6月、なぜか取りつかれたようにナンシー関の本を一気読みしていた。
数日間でほとんどすべての著作物を読み返した。
テレビを見ても、ナンシー的思考回路で感想を抱くようになった。それくらい読み込んでいた。
家中にあるナンシーの本を読み、これで当分読まないぞ、と決めた直後に届いた夕刊で、訃報を知った。
もう二度とナンシーの文章を読むことができない事が寂しかった。
ナンシーのような文章が書けたらどんなにか。

ナンシー関没後10年ということで出版された「お宝発掘!ナンシー関」。
ようやく購入して読んだが、寄せ集め的印象をぬぐえず。仕方ない。
いろんなドリンク剤についてのレポートは面白かった。
おでんジュースだの、スパークリングコーヒーだの。世の中いろんなドリンクがあるのですね。

ナンシー関は、テレビに映る客観的な事情だけから、理詰めで結論を導こうとしていた。
彼女自身の主義主張は当然あっただろうが、それを書くことはない。
たいていの文章は一般論、背景知識から自説を展開するが、ナンシーは一般論すら書かない。「生みの苦しみ」を大いに味うことになるスタイルだ。
以下の文に彼女の基本姿勢が表れている。

「顔面至上主義」は「人間は顔面」をモットーに、人を顔面だけで判断していいじゃないか、という主義である。「人間は中味だ」とか「人はみかけによらない」という、なかば正論化された常套句は、「こぶ平っていい人らしいよ--(だから結構好き)」とか「ルー大柴ってああ見えて頭いいんだって--(だから嫌いじゃない)」というとんちんかんの温床になっている。いい人だからどうだというのだ。テレビに映った時につまらなければ、それは「つまらない」である。何故、見せている以外のところまで推し量って同情してやらなければいけないのだ。そこで私は「顔面至上主義」を謳う。見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る。それが「顔面至上主義」なのだ。

お宝発掘! ナンシー関

12:29 エッセイ | コメント(0) | トラックバック(0)
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