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十八代目中村勘三郎さん

2012/12/11
2000年11月、予定よりもだいぶ早く目的地浅草に着いた私は、待乳山聖天に散策に行きました。お参りが終わり、本堂の前で家族をまっていると、一人の男性がジョギングしながらやってきました。その人は、ジョギング途中、神前で真剣に参拝していました。そして、帰り際、幼稚園くらいの女の子が手をつないだ母親に言い含められたのか、男性に「頑張ってね」と声をかけると、優しい声で「はーい」と返事をし、また走り去って行きました。この会話で思わずお顔を遠くから見つめ、その人が五代目中村勘九郎、のちの十八代目中村勘三郎ということに気付いたのです。

この時私は、平成中村座初演観劇のため、浅草にきていました。今思うと、勘三郎が祈願していたのは、平成中村座の成功だったのでしょう。ひたむきに芝居の成功を願い、参拝する真摯な姿が印象に残っています。

演目は「隅田川続俤 法界坊」。癖のある法界坊も良かったですが、法界坊と野分姫が合体した怨霊の方が記憶に残っています。当時舞台は浅草の隅田公園内で、江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場に設営されました。舞台そば入口付近で立ち見をしていた私は、至近距離で勘三郎に釘付けでした。赤い衣装を着て、おどろおどろしさと可憐さを併せ持つ怨霊の踊る姿に惹きつけられたのです。

勘三郎は、コクーン歌舞伎や平成中村座を実現させ、歌舞伎に疎い私が歌舞伎に親しむ橋渡しをしてくれました。これら新しい試みは、お客を楽しませることを真剣に考える「芝居バカ」勘三郎だからこそ、実現できたのだと思います。しかしこの試みが成功したのは、伝統的な芸をきちんと承継する実力があったからこそでしょう。歌舞伎界において、かけがえのない人でした。

もっとも、2000年以降私が観た勘三郎の舞台は、2005年5月の十八代目中村勘三郎襲名披露狂言「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」 のみ。実は、新歌舞伎座のこけら落し後、勘三郎の芝居をたくさん観ようと思っていました。後悔先に立たず。心にぽっかり穴が空いたようです。

役者として円熟期を迎える70歳頃には、もしかしたら、七代目中村芝翫のように風格があり、二代目尾上松緑のように凄みのある、それでいて十七代目中村勘三郎のような人情味ある稀有な役者になっていたかもしれません。

本当に残念です。心よりお悔み申し上げます。


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23:10 歌舞伎もろもろ | コメント(0) | トラックバック(0)
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